第2章 失われたサルン

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「いらっしゃいませ。ご予約いただいたお名前を確認させていただきます。」 「予約はない。今から泊まらせてもらえないか。」 「お疲れのところ申し訳ありません、当旅館は予約制でございまして、予約無しの一見さんは少々手数をかけさせていただきます。場合によってはお断りさせていただきますがよろしいでしょうか。」 「そうか、だが日帰りの入湯、休憩所サービスもあるそうじゃないか。この天気の中運転して疲れたんだ。」 「それも特に一見さんはお断りさせていただいております。お手数ですが、日帰り入浴がご希望でしたら少し北に別館がありますのでそちらでお休みになられてくださいませ。」 「だがなー、友人にここで1日待ってると言ってしまったんだ。何が何でも泊まらせてくれ。」 「かしこまりました。手前どもは別棟木賃宿もございますので、そちらでよろしければ案内します。」 「それなんだが、仕事上任務の関係であまり大きな声では言えないんだが、俺は警察なんだわ。必要経費は出ているから本棟の方へ案内してくれ。」 「かしこまりました。お風呂のタオルと浴衣をご用意させていただきますので、まずは大浴場の方へ。」 「おいおい、本棟に案内する気だぞ。あっさり言い負かされたじゃないか。」 「...もう大丈夫ですよ。あの方にはじきに帰っていただきますわ。」 「あ、バレてた?」 コソコソと二人揃って物陰に隠れていたが、なぜわかった。 「ただ耳と目がよろしいだけですよ。この宿の従業員は皆サロルン部族の末裔ですから。」 「レツタから聞きましたよ。通りで少し首が長いと思ったんです。」 「まぁ、フフフ...」 開拓者たちを悩ませたイシカリ、ソラブチの地。 世界有数の巨大湿原、イシカリサロルンがこのカイの大地にはあった。 雁や丹頂を育む大地。その総てを遺せたのに、アイヌ部族は手放してしまった。 オンルブシカムイ即ちエゾオオカミもそうだが、サロルンカムイ、タンチョウヅルもこの大地から姿を消してしまった。広きイシカリ平野には、増えすぎたエゾシカたちが激しい生存競争をし、大地を荒涼に変えていくのみである。 「で、どうやって帰っていただくんだ?」 「少し危なっかしいかもしれませんが、うちの子なら大丈夫でしょう。お召し物を拝借させていただくだけですわ...来たようね。」
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