死骸と猫とレゾンデートル

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死骸と猫とレゾンデートル

 私は時々、透明人間になります。  好きな映画はゾンビ映画で、業務用の防腐消臭剤を常備しているのです。  なぜ業務用の防腐消臭剤を持っているかというと、それは私が死を扱う業種だからです。 「ナギサさん、貴女が自分を死んでいる──生きた死骸だと思い込んでいるのは、コタール症候群という非常に珍しい精神障害です」 「でも先生、私の身体はすでに腐敗して朽ち果てているじゃないですか」  精神科医が告げた言葉を、私は否定しながら防腐消臭剤を身体に吹きかける。 「生きている感覚の喪失──自己存在の乖離は、扁桃体の損傷によって起こる場合があります。決して眼に見えない幽霊になった訳ではありません……」  そう言いながらも、精神科医が眼を泳がせて動揺していました。まるで、目の前にいる私が透明になったかのようにです。 「いいえ、私は生きている死骸なんです。そして時々、眼に見えない幽霊になるんです」  頑なに言い張る私に、精神科医がサジを投げるように首を左右に振りました。  そのとき──携帯の留守電に着信が入ったのです。 『お電話ありがとうございます。ナギサでございます。只今、あの世に外出しております。 お急ぎのご用件でしたら発信音の後に、ご用件とお名前とお電話番号をご伝言ください』  メッセージの後に、依頼人からの伝言が入っていました。 「それでは先生、また伺いますので──」  そう断ったときにはすでに、精神科医が私の存在を認識していなかったのです。
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