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ついひと息に責め立てる僕に、夏希さんは訳が分からないと言う風に目を白黒させていたけれど。
え……画廊は辞めたわけじゃない?
今度は僕の方が、虚を突かれて言葉を失った。
「手狭になったから、フランスから戻ったらもうちょっと広いところを借りようと思って。あの店舗は解約するけど、ちゃんと次の店舗先もアタリはつけてるわよ?」
「え……それは、フランス……」
「日本に決まってるでしょ馬鹿ね」
まじで?
夏希さんの肩を掴んでいた手の力が抜けて、二人の間の空間が少し広がる。
彼女が下から覗き込むように僕の顔を見上げてきて。
居たたまれないくらい、恥ずかしい。
ちょっと待って、全部僕の早とちりってこと?
「……嘘でしょ、だってマスターが……僕てっきり」
いや、だって。
ちょっと待って、マスターだって綾ちゃんだって、確かにそう言って……もうフランスから帰ってこないみたいな言い方を……。
あれ?
したよな?
カフェでの会話を思い出そうとしたけれど、記憶がイマイチはっきりしない。
あの時は何せ焦っていて、「フランス」って聞いた辺りから特にひどい。
「和史のことなんてもう忘れてたわよ」
「嘘、じゃあデッサン旅行に誘われた画家は?」
「ジェーンのこと? 子供さんの手が離れたからって確かに誘われたけどまだ行くとも決めてないし……」
「……ジェーン」
「うん?」
女かよ!
寧ろなんで画家=男に直結していたのか、僕の方が抑々どうかしていたのか。
恥ずかしさも頂点に達して、今すぐここから逃げ出したいという欲求に駆られた時。
「まさか、男の人だと思ってたの?」
彼女がくすくすと、肩を揺らして笑う。
赤い唇から、白く零れた息が横に流れた。
「どこに行ってもあなたのことばかり考えてた」
「えっ?」
緩く微笑んだ彼女の頬も、唇と同じくらい薄らと赤くて。
僕はそれが、寒さのせいじゃないといい、なんて都合の良いことを考えてしまう。
「夏希さん、それって……」
「ねえ……なんでこんなとこまで来たの?」
ふっと真顔になった夏希さんの表情からは、感情が上手く読み取れない。
だけど、くんっと袖を引っ張られて、見ると夏希さんの手が僕の袖口を掴んでいた。
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