哲学的透明人間

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 君は「哲学的ゾンビ」という言葉を知っているかな?  それは普通の人間と全く区別をつけることのできないほど酷似したゾンビを指す言葉なのだけれど。  まあ、わかりやすく言うとだ。    喜怒哀楽という感情を有し、思考能力、運動能力、生理反応さえも備えており外面的要因からは全く人間と同じなのにも関わらず決して人間とはいえない存在、それが「哲学的ゾンビ」だ。  ああ、勘違いしないでくれ。  私は別にこの場でゾンビの話をしたいわけじゃない。  私がしたいのは透明人間の話なのだからね。  透明人間。  まず、この透明人間の話をするとして、先に君に質問をしたいのだけれど。  君だからこそ質問をしたいのだけれど。  君は一体、何をもってして透明人間を透明な人間と定義するのかな?  言いたいことがわかりにくいかな。   そうだね……。  まあ、さっきの話の続きではないけどゾンビを一体何をもってしてゾンビと定義するのかと言う話だ。   哲学的ゾンビを内面的にも外面的にも人間と全く区別することのできない存在を君はどうやってゾンビだと定義するのか。  こう言い換えると少しは分かりやすいかな?   ああ、いやいや。  確かにそうだがね。  君の言う通り、ゾンビと透明人間では決定的な違いがあるのは事実だ。  透明人間は目に見えないからこそ透明人間であり見分けのつかないゾンビとは根本的な違いがある。  目に見える人間を指して透明人間とは流石に誰も言わないだろうからね。  さて、ここでさらに一つ君に質問をしようじゃないか。  なに、単純な質問だ。  私と君がいるこの空間。    ここで私は君に話をしているが、話しかけ続けているが、君は君自身を「透明人間ではない」とこの場で私に証明することができるのかどうかという質問だ。  別に逆でも構わない、君が「透明人間である」ということを私に証明することがはたしてできるのか?  そう言う質問だ。  ま、答えを先に言ってしまうがそれは不可能なわけなんだがね。
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