哲学的透明人間

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 なぜならそれは、君が透明なのかどうかは私の主観で決まるためだ。  私が「透明だ」と言えば君は透明人間だし、また「不透明だ」と決めつければ君は普通の人間に位置付けられてしまう。  君が透明か不透明かは問題ではなく今こうして対峙している私のさじ加減で君の存在は決定してしまう。  この場に他に人がいればまた勝手は違うが君と私だけと言う空間においては私の気分で君の存在は有耶無耶になってしまうんだよ。  こういう風に言ってしまえば君は普通の人間と透明人間という二つの可能性を秘めた人物だというわけだ。  普通の人間であり透明人間でもある存在、それが今の君だ。  そしてやはりその二つは君には決める権利がない。  よって君は自身の存在を証明することはできないという結論に達するわけだ。  君はこの理屈をただの屁理屈だと一笑するのだろうが、また私の捻くれた思考によって構築した理論だと呆れるのだろうな。    まあ、どうせすることのない暇な現在だ最後まで付き合って話を聞いてくれよ。  だがまあ、話を戻すと「証明できない存在」とはその時点ですでに肩書が透明人間みたいだね。  証明できない存在が透明人間の定義、そう結論を出してもいいくらいにぴったりな仮説だ。  そういう考えで言えば君は既に透明人間なのかもしれない。  さてさて、ではここでさらなる疑問だ。  だとすると、証明できない存在を一体どうやって「人間」だと証明できるんだろうか?  それが「透明な『人間』」だと君はどうすれば証明できると?  もしかすればそれはただ「人の形をした透明なナニか」かもしれないし「目に見えない人語を操るナニか」かもしれない。  果たしてその存在を人間だとどうやって断言できるというんだろうね?  解剖でもしてみるかい? 臓器すらも透明な存在の腹を掻っ捌いても人間との共通点なんてなにも探れないと思うけどね。  尋問?  それこそ無意味だろ。  仮に「人間だ」と答えたとしてもどこにも証拠がないんだ、その存在が人間かどうかなんて対峙している人物の主観で決まってしまうんだからね。  さっき私が話した君が「透明か不透明か」の話と同じさ。  証拠がない以上その存在は「人間でもあり人間ではない存在」と言うことだ。
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