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 賑やかな教室の中央で、文庫本に視線を落としたまま静かにページをめくる。これは北条秀介(しゅうすけ)の日課だ。  休み時間の度にこうして周りには目もくれない彼だったが、学生服と同じ黒色のマスクの下では、時折言葉を紡いでいた。 (――――ああ。そうだな)  低めの声で、当たり前のように発するのは返事。しかし彼の周りに人はいない。読書家と思われる内、いつの間にか誰も近寄らなくなっていた。そうかと言って、読んでいる歴史小説への言葉でもない。  何より声は外に漏れる事なく、すべてマスクの下で止められている。聞き取れる者がいるとすれば、それはきっと人ではない。  現に、秀介の話し相手は人ではなかった。 (お前の学校は「かわいい」しか聞こえて来んな。知っておるか? あの発言、すべて自身に向けられたものだぞ)  ケタケタと幼い声が笑う。  性別の定まらない声音と口調だったが、正体を知る彼は当然のように応える。 (全くもって、その通りだ。よくあれだけの詭弁を並べられる。第一「かわいい」というのは、すべてのバランスが統一されてこそ言えるものだ。部分的に見て発言するなんて言語道断) (秀介。論点がズレておるぞ) (そうか?) (そうとも) (――そうか)  黒いマスクの下で頷く秀介に対し、相手は黒い学生服の下で頷いた。  燕尾の裾の間に垂れる一束の長い髪――のフリをしている者。これこそ、秀介の話相手である存在。 (さあ授業が始まる。また後でな、秀介) (うん。待ってて〈ヘビ〉)  彼の細かな動きはマスクが隠し、声もまた、マスクが隠す。声の主との会話が可能なのは、すべてマスクのおかげだった。  このマスクはヘビの皮で作られたもの。特殊な術を施してある為、ただの人には何も聞く事はできない。  ただの人とは何か。  それは秀介の周りにいる人物、教師、その他大勢。ヘビのような〈契約した存在〉を持たない者達。  ここは《兄弟学園高等部》。陰陽の力を司る者達が集う、特殊かつ広大な隔離社会。
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