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「そなたも苦労しておるのだな」
つい呟くと、綾が見つめた。
「では、紹様がお悩みになっておられるのは仕事のことですの?」
「そうだ。私も同じ考えを抱いておる」
ふと、綾の動く気配があった。
「時折、むなしくなりませんか」
柔らかい手が、背中を抱いた。頬が肩にもたれてきた。沈香のよい香りがする。
「私と紹様が同じである筈はないのですけれど、私などは再び見習いからやり直せることが出来たならばと思うことがあります」
「否。同じだ。私とて往時をしのべば誤った選択は幾らでもあった。仕切り直しが利くならばと常々思う」
しばし見つめあった。
どちらからともなく唇を寄せた。
綾の唇は柔らかかった。
煩悩に飲まれそうになった。
「すまぬ。酒を飲みすぎたようだ」
急ぎ背を向けると、綾への罪悪感がにわかに湧いた。冷たく冴えた秋の夜風がやけに重くまとわりつき、紹彩志を足留めしようとする。
「すまぬ」
重ねて立ち去った。
足早に娼家を後にした。
ふと綾の柔らかさが甦り、掌を口に押しつけた。
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