言えないから、さよなら

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………………………………………………………………  強くなってきた日差しを遮るため、日傘を差した美鈴は歩道を歩いていた。季節はもうすぐ夏になる。 「暑いなぁ」  特別区は山間にあるため、今まで住んでいた都心に比べれば気温は低い。だが、すっかりお腹が大きくなった美鈴にとっては暑さがこたえた。  美鈴は、特別区の暮らしにもなんとか慣れていた。今回被害にあった人にはいろんな人がいて、皆が協力しあいながら暮らしていた。美鈴はこんな体だからか特に心配され、隣の部屋のおばあさんはとても親切にしてくれた。  被害者の中にお医者さんが一人いて、産婦人科の先生ではなかったけれど、街の産婦人科の先生と連携しながら美鈴の出産をみてくれることになった。  ここへ来たころはひどいつわりや慣れない生活で涙することも多かったが、最近になり、少しずつ前を向けるようになっていた。きっと大丈夫。二人で歩いて行ける。弱音を吐きそうになるたびに、美鈴は呪文のように自分に繰り返し言い聞かせた。  前を向いて、歩いていこう。  そして美鈴が一歩踏み出した、その時だった。 「美鈴」  突然名前を呼ばれ、美鈴は振り返る。この声を、忘れるはずがなかった。
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