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昨夜、林道は布団に入りながら念仏がごとく九九を唱えていた。何度も何度も同じところで躓いて、そのたび白金が根気よく訂正していた。白金は怒らない。林道は諦めない。僕も眠ることが出来なかったが苛めっ子と苛められっ子の2人が互いの欠点を補うよう不器用なりに前進しているような気がしていた。
放課後で騒がしかった教室からは次第に生徒が消えていき種河、林道の他に教室に残っているのは僕、白金、羽倉の3人だけになった。種河は僕らを睨んだ。
「お前たちは帰らないのか」
「僕はちょっとレポートをまとめたくて」
白金はノートを広げながら言った。
「授業の復習がしたいので」
僕も適当に言う。
「私は彼を待ってます。林道君の彼女なので」
羽倉は明言した。
種河は驚いたよう2人に目を配ったが、「清い交際をお願いしたいもんだ、ね」これでもかと言うほど顔面を醜く歪めて言った。
俺は斜め後ろから林道の背中を見詰めた。
『くそっ』
そのとき、頭の中で林道の声が聞こえた。
『くそっ。……くそっ』
何度も毒づく。声だけではなく不思議と彼の深い憤怒まで感じられた。
『どうしてっ、どうしてっ』
林道はペンの芯を折った。筆箱から新たなペンを取り出す。そのペンの先は震えているように見えた。
林道の横顔に汗が流れ落ちる。
『どうしてこんな問題が……分からない』
僕はいたたまれなくなり教室を出て行ようと立ち上がった。林道の席を通り過ぎるとき横目でもう一度彼の答案用紙を盗み見た。
九九の間違いを見つけた。それどころか2桁のかけ算、鶴亀算は空欄。恐らく赤点は免れない。
『俺は結果を出さなきゃいけない。でも、分からない。白金の教え方が悪かったんだ。蹴飛ばしてやろう。蹴飛ばして……俺を恨んでもらおうか』
こんな問題すら出来ないのか。こりゃ驚いた。一体どうやって私が出した宿題をこなしんたんだ? 答案用紙を見てあざ笑う種河の顔が浮かんだ。
暗鬱とした気分のまま教室を出た。
すると廊下には凛橋里乃伽がひとり突っ立っていた。マスクを外している。
「あ……あの、あれや」
その美しい顔には不釣り合いなおじさんの声だった。僕と目を合わせると祈るよう胸の前で手を組み合わせた。
「……な、なんですか」
彼女の顔は心なしか赤い。
「キスするで」
「は?」
聞き間違えかと思った。
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