第三章

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 羽倉が笑顔で答える。 「風邪、早く治るといいですね」  里乃伽は2回頷いた。 「もうひとりは遅刻するかもしれません。多分、遅刻します。って言うか来ないかもしれません。私は彼を待ってますから、もしよかったら先に2人で――」  そのとき駅のロータリーを通り1台の原付バイクが僕らの前に乗り付けた。ヘルメットを外した男は僕らを指さした。 「待たせたな、廉太郎。ペリー。そして――」  彼はバイクから降りてきて腰を屈め、凛橋里乃伽に顔を近づけ喧嘩を売るよう睨んだ。「俺は林道幸汰だ。お前は?」  里乃伽は軽く身体を反らし、メモ帳にこう書いた。 『風邪を引いていて声が出ません。凛橋里乃伽といいます』  林道は彼女に近づけていた顔を引いて傲然と腕を組んだ。 「なるほど……へぇ。……はし、りの……ね」  読めなかったらしい。どうやって原付の免許を取ったのだろう。 「凛橋里乃伽だ」  僕が教えてやると林道は考え込むよう顎に手をやった。 「りんばし、りのか、か。音としては織田信長に近い」 「近くはないだろう」  林道は里乃伽に人差し指を突き立てた。 「決めた。俺はアンタをムンクと呼ぼう」  信長はどこ行った。 「いいか。絵の中ならまだしも現実世界で叫びやがったら容赦しねえからそれだけは覚えておけ」  里乃伽はマスクを両手で押さえ、「なに言うてんのか分からへんけど、ぶん殴りたいで」  怒り狂ったおじさんのしゃがれ声がその場を凍り付かせた。  3秒後、静止していた羽倉と林道はきょろきょろと辺りを見渡した。  駅近くの公園に特設アイススケートリンクがあり期間限定で貸し靴代は無料だった。家族連れや学生、恋人たちがリンクを埋め尽くしている。 「やっぱり休日は混むね」  羽倉は壁を伝いながらよちよち滑った。対して林道は、「ひゃっほうっ」恐ろしいスピードで滑走していた。彼はたった1分で滑るコツを覚えてしまった。  里乃伽はリンク脇のベンチに腰掛けていた。 「滑らないんですか」  手すり越しに僕が声をかけると彼女は小さく頷いた。 「風邪をこじらせるといけないからね」  羽倉は手すりにしがみつきながら息を切らして言う。 「鳴原君。私、もっと滑れるようになりたよ」 『でないと、林道君と一緒に滑れない』彼女の心の声が聞こえる。 「手、貸しましょうか?」
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