1章

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「火星への有人探査はどの国も一番乗りしたいのよ。宇宙飛行士だって自分が先に火星の地に足跡を残したいって、誰もが思っているしね。でも人工衛星がうようよと監視するように飛びまわっている中ではどうやっても気づかれちゃうでしょう。絶対無理よ」  待たされていることに苛立ちながら、小林は肩まで伸びた黒髪をかきあげた。二人はJASA最先端技術室の室長に呼び出されて、この会議室で30分ほど待たされている。 「本当にくやしいよな。日本にはその技術がすでにあるっていうのに。アメリカやロシアなんかが日本を牽制してるって話だ。どの国も自分たちが一番乗りしたいんだろうな」 「最初に足を踏み入れたって功績が欲しいんでしょうね。アメリカなんて日本の技術がロシアや中国に流れないか、ピリピリしてるそうじゃない」  机を軽く小突きながら小林が悔しそうな表情を浮かべる。 「もしアメリカ、中国、ロシアが手を組んだら火星の有人探査なんてすぐにでも実現できそうなものなんだけどな」 「そうでしょうね。でもそれぞれ自国の思惑があるでしょうし、協力なんてしたくないのよ」 「日本は目をつけられちゃってるしな。抜け駆けしないように各国からの圧力が凄いって聞くぜ。ここ数年で急速に有人航行技術が発達しちゃったから」  今から2年前に日本は有人での月面探査を実現していた。  その翌年には猿を乗せた実験で火星へと向かった。片道たったの12日、往復24日という驚異的な速度で無事に航行し、世界を驚かせた。その後の有人航行では火星へ向かったロケットがトラブルのため6日後に地球へ戻ることになったが、これはアメリカからの政治的圧力があったためだとJASA内では専らの噂だった。飛田と小林はこれが噂ではなく、真実であるということを知る数少ない人物だ。  日本は技術的には火星への有人航行が可能だ。だが諸外国はそれを良く思っていない。日本に対する武力行使をちらつかせたり、貿易を制限しようとしたり、あの手この手の水面下の交渉があるようで、火星探査の計画が上るたびに日本政府から計画見直しの要請が入る。  ところが、いいかげんJASAもしびれを切らしていた。他国に対しても、自国の政府に対しても内密に火星への有人探査を強行しようとしていた。恐らくはその話をするために、彼らの上司は二人をここに呼び出したと推測された。
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