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ここに、私の誰よりも愛した人がいた。
私の名前を呼んで、いつも待ってくれる人がいた。
私とともに、人として生きると言ってくれた人がいた。
二度と会えない。
あの夢のように自然のままに慈しまれ、愛しんだ日々は、戻らない。
夫となった人の腕の中で、こぼれた涙をふく。泣いてはいられない、今私のそばには私をこよなく愛してくれる、そして私も愛する人がいる。
「千世、ダメだよ。抑えないで」
賢吾さんの腕の中で、一瞬、息が止まった気がした。
私を見下ろして、賢吾さんが、切なそうに、愛しそうに私の髪をかきあげて小さく呟くように言った。
「泣いて。吐き出して」
カムイが、いる。
「どう、して……」
「千世の辛いことは、僕が半分もつから」
そう誓っただろう?
緑色の光が賢吾さんの瞳にちらつく。
「けん、ご……さん」
「ずっと僕がそばにいるから」
涙があふれる。
頬を伝う涙を、賢吾さんが少し困ったように指でぬぐう。
「なんでだろう、千世にそう言ってあげなくちゃって思った」
「パパがママを泣かせたー」
ぶうっとふくれた千沙斗を私は泣き笑いの顔で賢吾さんから受けとる。
私を見つめるつぶらな瞳は、緑色の瞳と黒色の瞳だ。千沙斗はオッドアイで生まれてきた。時々閃くように銀色の糸のような光が走る。カムイの子、という証でもあった。
その瞳を見ていたら、またなんだか泣けてきてしまって、俯いた。なのに賢吾さんが両手で頬を包み込んで顔をあげさせた。
かすかに賢吾さんの瞳は、周りの木々の緑を映している。ひくっとしゃくりあげるようにした私に、仕方ないなあと呟いて、賢吾さんが再び抱き寄せてくれる。
その瞬間、堰を切って、気持ちがあふれて。
泣きじゃくった。
「ママ……?」
カムイは、生きている。
千沙斗の中に。
そして、今もこうして私を抱き寄せてくれる。心配してくれるその腕に。
この北海道の大地に溶けて、賢吾さんの中で、私の中で手を広げている。
愛しているよと、ずっと見守っているよと笑いながら。
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