一、忍びか?

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 ーー真夏に逆戻りしたのでは、と思わせる蜃気楼の中、けれど身震いしそうな重厚感を漂わせながら、それはそびえ立っていた。 二○○三年十一月二十六日、鹿児島県、種子島宇宙センター。高く蒼い空を見上げながら、今や遅しと発射の瞬間を待ちわびている、日本の純国産宇宙ロケット、H2A型の6号機である。  打ち上げを三日後に控え、だから既に発射台のガイドに固定されているその宇宙ロケットの方へ、十一月にしては、強く瞳に差し込んでくる陽射しに顔をしかめながら、一人の白髪の老婆が歩いて行ったのは、昼を少し過ぎた頃だ。  見たところ七十過ぎ位だろうか、清掃員の作業着姿で、デッキブラシを挿したバケツを片手に、腰を曲げてテクテクとロケットに近付いて行く老婆は、暑さのせいか、それとも元々のものか、両頬が真っ赤に染まっていて、オカメインコみたいにとぼけた顔をしている。  その老婆の後方十数メートル。けれどしっかりとその距離を保ちながら、老婆の丸い背中に続いて歩く人物がもう一人。  こちらは四十代前半かと思われる警備員の制服姿の男性で、その制服の胸元が隆々と筋肉で盛り上がっている逞しさだ。老婆同様、痛いほど真っ白な太陽に眼を細くして耐えているが、その顔はまるで犬である。 もっとも、犬と言ってもチワワからブルドッグまで色々あるが、褐色で艶のある肌をした彼の場合には、凛々しく精悍な顔立ちのドーベルマンに近い。  二人が行くのは背の高い草原の中、広大な宇宙センターを吹き抜ける海風が、音を立てて草の葉を揺らしているせいもあるのだろう、老婆の方は後ろからついて来る警備員の存在には、まるで気が付いていない様子で、ただ真っ直ぐにロケットを目指して歩いて行く。  そして、ロケットの直ぐ下までやって来た老婆は、足を止め、徐に持っていたバケツを地に置くと、そこからデッキブラシだけを抜き取った。  それから柄の先に付いたブラシの部分を、ペットボトルの蓋でも開けるように、キュルキュルと反時計回りに回し始めると、何回転目かでブラシは柄からスッポリと外れた。 すると、ブラシが外れた柄の先には、キラリと冷たく光る、ドリル状の刃物が現れたではないか。  ドリルの槍を両手で構えた途端、丸まっていた腰をピンと伸ばした老婆は、目の前のロケットを見上げながらニマッと唇で笑った。
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