一、忍びか?

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 すると、塞がれていた左目をスーッと開き、だから両目の視線を真っ直ぐに警備員へと向ける。  その眼が、老婆のものとは思えない、妖艶な光を宿したかと思うと、ブラックホールのような引力で、辺りの気を吸い込んでいくーー。傷を負っているはずの左目までが、健康な右目と変わらずに、怪しい輝きを放っているのだ。  その魔力に、人並み外れた精気を溢れさせていたはずの警備員さえも、ついに屈した。 催眠術にでも掛けられたように、魂を吸い寄せられてしまったのだ。 「もう一度訊く。お前は忍びだな?」  老婆のしゃがれた声が、警備員の耳には天使の美声に聞こえたか、彼はさっきまで凛々しかった眼をトロンとさせて、素直に、いや、無意識に口を割った。 「いかにも俺は、警視庁の・・・、ごぼび・・・」  言葉の最後が濁ったのは、口から大量の血液を吐いたせいだが、これは槍が刺さったままの腹部から咽に、生温かい鮮血が込み上げてきたのではない。 この時、老婆の催眠術によって、自分が全てを白状させられてしまうことを恐れた彼は、だから自らの舌を噛み千切って、それを阻止したのである。  既に絶命した警備員の身体は、けれど腹に刺さる槍に支えられて、地に落ちない。  老婆は、苦虫を噛み潰したような顔で彼の屍を見ていたが、数瞬の後、自身もカッと眼を見開いた。 「うっ・・・」  短い呻きは呼吸が止められた為、悶えながら、しかし冷静な声で彼女は言った。 「毒が塗ってあったか・・・」  さっき警備員に投げられたマキビシのことを言ったのだろうが、だとしたら、そのマキビシで左目を負傷した老婆の体内には今、間違いなく毒が巡っているはず。自分の運命を悟ったように、老婆は静かに両目を閉じた。  しかし、彼女もまた、息絶えて尚、地には崩れなかった。 強く握られたドリルの槍が、仁王立ちのまま死んでいる警備員と繋がって、皮肉にも、命を奪い合った互いが互いを支え合っているのだ。  ただ絶え間なく吹き付ける海風だけが、二人の間を通り抜けて行ったーー。  その光景を、ロケットの北側およそ四百メートルの所に一人、南側およそ四百メートルの所にもう一人、草原に身を潜めながら見守っていた影があった。  驚くべきは、この二人の影が、今の老婆と警備員のやり取りの一語一句までを、完璧に把握していたことだ。
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