第1章

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  海の荒鷲 母なる艦(ふね)           吉成海軍中将と空母「鳳翔」の生涯                                             武藤 大成   第一章 水上機        一    千葉の館山湾内の身の引き締まるような冷気の中で、海軍の水上機がきらめく冬の朝日をその身に浴びながら、いつものように水上機母艦からの発着訓練を行おうとしていたのは大正三年十二月十日の早朝のことであった。  湾の沖の方の遥か遠くには、靄(もや)る海の上にまるで浮かんでいるかのようにうっすらと見える富士山が望まれ、天候は快晴で波も穏やかそのものだった。  房総半島の先端に位置する館山湾は、湾の下の方が太平洋へ背を向けるかのようにして西の方に延びていて、しかもその部分が太平洋の荒波を遮断するような地形をなしていることから、年中荒れている外(そと)海(うみ)に比べると滅多に時化(しけ)る心配がない、漁師にとっては地引網漁などをするのに最も適した格好の入り江となっている。  そんなことから、そこは、別名鏡ヶ浦と呼ばれているほど年間を通してべた凪(なぎ)の日が多いとされているが、その割には沖合からの強い風が湾内を年中吹き抜けていることでも広く知られていた。  その証拠に、湾の奥の正面の南北に延びた部分の、海岸沿いの砂地に設けられた松の木の防風林の木全体が、一斉に陸地の方向に傾(かし)げている様を呈しているのがはっきりと見て取れる事からもそれと分かるのである。  それで、海軍ではこの風が水上機の飛行訓練に最も適しているとして、随分以前からよくここを利用するようになっていたのだ。また、これらの便を図る目的で、この湾の西南端の洲崎(すのさき)に置かれるようになった館山海軍航空隊基地の開設はこの後(のち)の昭和五年まで待たなければならないが、湾の外も比較的波が穏やかな上、近くを流れる暖流のお陰でこの辺りの気候は冬でも比較的温暖だったから、尚更飛行訓練を行うのに打って付けの場所なのであった。  この日行われようとしていた、水上機母艦から水上機を発進させてまた元の所へ収容するまでの訓練の模様というのは――。 
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