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当時は、水上機を備えた日本海軍のどの艦艇にもカタパルトと呼ばれる、機体を強制的に飛び立たせる為の射出機の装備がされてなかったから、機体の下に車輪の代わりに二本の長い下駄のようなフロートと呼ばれる巨大な浮きを取り付けた、水上飛行機の発進のやり方というのは、母艦の格納所からデリックと呼ばれるクレーンで機体を吊り上げて、それを一旦後部甲板に降ろすと、そこへ操縦士が乗り込み、係員がエンジンを手動で掛けたら再び機体を吊り上げて、それをそのまま海に降ろし、機体を滑走させて空中へと飛びたたせる。そして、飛行後水上機が再び母艦の近くに着水したら、その機体を確保してから吊り上げて甲板に降ろし、操縦士を降ろしたあと再び元の所へ格納する。といった、このようなやり方で海上から直接機体の発着を行っていたのである。
だが、この作業には常に危険が伴った上に相当の熟練を要したという。早い話が、水上機をデリックで母艦から海に降ろしてそのまま飛ばすだけの作業なのだから、一見簡単そうに見えるものの、少しでも波が高いと水上機の滑走が困難となり、中々飛び立てなかったというし、またなんとか飛べたとしても、今度は着水も同様な具合で、波の高さが二メーターを超えるような場合には機体の制御は困難を極めて無事では済まされなかったから、搭乗員には高度な操縦技術と決死の覚悟が必要とされたという。そんなことで、兎に角事故が絶えなかったというのだ。
そればかりか、これだけの手間を要した上に、相当の訓練を積んでもこれらの作業がスムーズに運ぶことはまずなかったというが、それは、水上機やその母艦の機械などの故障や不慣れな操作が原因であったりしたようだ。おまけに、この作業は、波の状態だけでなく天候にも大いに左右されるものだったようで、発進させる際や回収する際には機体が雨風によって損傷することが多かっただけでなく、操縦席には風防などはなく吹き曝しであったというから、夏はともかく、冬はとにかく操縦士にとっては耐え難いほど寒くて辛いものだったという。
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