第1章

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 ところで、ここで登場した吉成惇一少尉は、この物語りの中心人物であり、こののち飛躍的な進歩を遂げることになる航空機やその母艦となる航空母艦というものと深く関わりを持ち、格別の功績を残すなどして、明治、大正と昭和の初頭の激動の時代を生き抜き、その激流に翻弄されながら波乱に満ちた人生を歩むこととなる軍人なのである。  従って、この男を抜きにしては、この物語りは固よりもう片方の主役である、空母「鳳翔」のことを語る訳には到底いかないのである。  彼、吉成少尉はその後、鋭意努力の甲斐あって出世を果たし、中将にまでなるのだが、明治二十二年生まれで、九州は大分の出身であった。  改めて、その風貌を見てみると――。  鼻の下に髭を蓄えた精悍で男らしい面構えをしており、体格は、武道家であったという母方の祖父に似て骨太で比較的大柄であったから、見るからに頑強そうなその体を海軍の凛々しい制服で包むと一層見栄えがして、輝かんばかりの若武者振りであったという。  その上、海軍の軍人らしく、剣道などの武道に特に優れ、闘争心旺盛にして、その胆力においては人後に落ちず、敢闘精神に満ち、少年の頃からの念願叶って、晴れて入隊を果たした海軍をこよなく愛してやまなかった男だったのである。  もう一人の軍人、大山大二郎少尉の方も、のちに中将となり、海軍の航空隊の発展のみならず、日本の海軍の隆盛に大いに貢献した人物であるが、太平洋戦争の末期に実施されたという、特攻作戦の発案者でもあるとされている。この特攻作戦計画ついては、吉成も彼から相談を受けて、これに讃意を示したという経緯があったというのである。  この、航空機による特攻作戦というものの諸々(もろもろ)に関しては、本書の本来の主旨ではないので、詳細についてはここでは省くが、それに従事させられた犠牲者の数は三千九百四十八名に及んだとされている。  因みに、その戦果としては、米軍側が蒙った戦闘艦艇の損害が、空母や巡洋艦などの沈没が三十四隻、大破又は小破の損傷が二百八十八隻にも及び、一時期米海軍の水兵の中にはノイローゼになる者が続出するなどしてパニック状態に陥ったという。ある南方の島への上陸作戦が行われた際に、沖合で待機していた病院船が、特攻攻撃のあまりの激しさに危険を感じて艦隊から離脱して逃走を図った例さえあったというのである。
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