第一話

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 恐ろしさを押さえつけ、後ろを振り向く。 「何、あれ……」  それは、人を食べていた。  私の身の丈よりも大きく、細長い胴からは無数の脚が生えていた。それは老人を呑みこもうとするたびに、うぞうぞと脚を動かす。何かの感情を表しているのか、頭から生えている一対の触覚が時折揺れていた。  大ムカデは、私のほうに意識を向けながら老人を食べ続けていた。夢中で、血肉を貪り続けるその姿は、この世のものとは思えない光景。  それでも、動かないと。食べられている人を助けないと。  春陽(しゅんよう)はすぐに腰に手を伸ばす。が、何も掴むことはできなかった。いつも腰に佩いている刀は、今、刀匠に預けている。  まずい、今の私は――自分の身すら守れない。それでも、老人を助けないと。何か対抗できる武器はないかと探してみるが、目に入ったのは何の変哲もない懐中時計だけ。  それ以外に何かないか。何か、何でもいい。  その間も、ごりごりと、咀嚼音が響き渡った。 「あ……ぁ……助、け――」  やがて老人は、最後の骨の一片まで砕かれて呑みこまれた。ごくりと。次いで聞こえたのは、怪異が地を這いずりまわる音。  大ムカデはあっという間に私に迫ると、細長い胴を持ち上げて啼いた。本来声が出るはずはないのに。ひどく耳障りな音を立てながら、脚を伸ばしてくる。 「やめて――」  ムカデの形をした怪異は、私の肌に触れ幾つも生えている脚で撫でまわす。やがて――それは大きく口を開けると、喰らい始めた。私の肉を。  ごり、ごり、ごり。  ごり、ごり、ごり。  骨が砕かれる感触が全身を貫き、痛みを感じる暇もない。その中で、手にしているのは時計だけ。それは場違いなほど、正確に時を刻み続けている。  私が腹の底に収まろうとしたとき、カチリと一際大きな音が鳴った。最後の時を刻むように。
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