秀明

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 真冬に見つけられた記憶喪失の子供は、いくつもの施設や病院をたらい回しにされた後、月照寺に引き取られた。もちろん彼本人の意思ではない、大人の話し合いでそう決まったのだ。名前すら覚えていなかった彼に、住職は『秀明』という名前を与えた。施設で仮につけられていた呼び名はすぐに呼ばれなくなった。  梅雨に引き取られたその子供は、推定で七つか八つだった。すぐに小学校に通う手続きが取られたが、ひらがなもカタカナも理解できないような子供を一人で学校に行かせるわけにはいかなかった。学校側にとっても迷惑だろう。誰もそうは言わなかったけれど、施設や病院で彼に関わった人たちは、彼が生まれたばかりの赤ん坊と変わらないことに気づいていた。気づいていて、まるで全ての責任をなすりつけるように、月照寺の住職に任せたのだ。  住職は、梅雨に引き取った子供を手元に置き、学校に任せてしまうことはなかった。半年間、根気強く子供に付き合い、読み書きと言葉を覚えさせた。記憶喪失のせいか、子供は話すことも遅れていた。時間が許す限り住職は子供に付き合った。膝に抱いて食事をし、一緒に風呂に入り、一つの布団で抱きしめて眠った。七つか八つというには彼の身体は小さく、全てにおいて未発達だった。  彼の二度目の人生が始まって丸一年、再び真冬になった頃、自分自身の存在に疑問を持ち始めた彼に住職が言った───おまえは私の子供になればいいですよ、と。  その日から、『秀明』は『相良秀明』になった。親兄弟が無いだけでなく、記憶まで失っていた子供は、最も信頼できる大人が自分の父親になってくれたことによって、心の安定を手に入れた。月照寺に引き取られて半年しか経っていなかったけれど、彼にとって住職はこの世の全てになっていたのだ。  私の子供という住職の言葉に偽りはなく、その頃から月照寺で過ごすようになった灰原鳴海と分け隔てなく一緒に育てられた。鳴海は住職の実の孫だというのに、愛情は同じだけ与えられたのだ。いや、秀明の方が年上なので、いつだって『長男』としての優先権が与えられたぐらいだった。年齢が近い男の子たちは、まるで本当の兄弟のようだった。どういう理由で鳴海が寺で暮らすことになったのかは分からなかったけれど、彼らにとってのお互いは世界で唯一の仲間で、血の絆なんかより確かなもので結ばれていた。
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