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住職は週に一度、寺の道場で近所の子供たちに剣道を教えていた。道場は一般にも貸し出され、有段者たちが柔道や居合なども教えていた。寺で預かられている子供たちもその教室に頻繁に出入りし、特に秀明は早くから頭角を現した。秀明は武道の才能に恵まれていて、同年代の子供たちは敵ではなかった。身体の鍛錬は、不安定な精神の安定にも奏功する。それを知っている住職は、秀明が武道に没頭することを歓迎した。そして、秀明自身も、自分が心穏やかに日々を過ごしていることを実感していた。
秀明の様子が安定すると、住職はまた別の子供を引き取った。年上の女の子だった。彼女は住職の妻と姉妹のように仲良く暮らした。彼女の本当の母親は、彼女のことを愛してはいたけれど、新しい男ができると、娘のことを忘れてしまうような女だった。男と別れるたびに彼女は母親の元に戻り、男ができると彼女は家を追い出された。騙し騙し何年か経ち、優秀な彼女が医学部に合格した時、学費を出してやるような余裕は放蕩な母親にはなかった。彼女が進学を諦めようとしていることに気づいた住職の妻は、涙を流して義理の娘を抱きしめた。学費はもちろん、下宿にかかる費用の全てを住職夫妻が出すことになった。彼女はそれを辞退したけれど、住職の妻の涙は彼女の心を揺すぶった。彼女は医者を志し寺を旅立った。
それからも、何人もの子供が月照寺に預かられた。実の親の環境が整った子供たちは、寺を離れ帰宅した。寺にいる期間はそれぞれ違った。秀明のように養子縁組の話が出るような子供もいたし、夏休みの旅行のように一週間ほどで出て行く子供もいた。週末だけ親の元に帰る子供もいた。大半の子供は何年かを寺で過ごし、高校を卒業すると出て行った。秀明は、そして鳴海も、まるで路傍の石のように彼らを見送った。一、二年で寺を出て行ける子供たちは恵まれた部類なのだ。
秀明を迎えに来る人はいない。秀明を待っている人もいない。生きようが死のうが、それこそ塵芥がどうなろうと気に留める者がいないのと同じように、悲しむ人はいないのだ。住職や鳴海は悲しんでくれるだろうが、その頃の秀明は『血』こそが涙を生むと信じていて、他人が泣いてくれるなんて思いもしなかった。
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