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でも、高校に上がった頃には秀明にも物事の分別がつくようになっていた。住職夫妻の態度が全く変わらず、秀明と鳴海のことを兄と弟として扱うので、秀明の遠慮は進学ではなく就職を選ぶという行動に表れた。住職は秀明にそれを許した。思えば、住職の妻は、高三の進路指導に来てくれた時に、仏教大学なんてどうかしらと言っていたけれど、本気にしなかったのは秀明だった。秀明は当たり前のように寺を継ぐのは鳴海だと考えていたし、住職夫妻もそのつもりだと思い込んでいた。
妻の四十九日法要の後、住職は秀明を部屋に呼んだ。
「おまえはいつになったら私の真意に気づくのですか」
出来の悪い教え子にでも言うような口調だった。
「いつ私や秀有子がおまえを本当の息子ではないと言いましたか」
無論、そんなことを言われたことはない。
「鳴海は私の娘がつけた名前だ。私の名前から一字を取ったのは明らかだが、私がつけた名前ではない。おまえの名前は私がつけた。私と秀有子から一字ずつ取り、自分の子供にするように名づけた。その気持ちに嘘があるとでもいうのですか?」
秀明は俯き、ただ小さくいいえと言った。
「おまえは私と秀有子の息子だ。あの日、おまえに言った気持ちは寸分たりと変わっていませんよ」
住職夫妻の気持ちが秀明に会社を退職させ、仏教大学への進学を決意させた。
───おまえは私の子供になればいいですよ。
その思いに応えられていなかったのは秀明の方だったのだ。夫妻は出会って間もない頃から『実の息子』として扱ってくれていたというのに、弁えたような気になって、鳴海こそが彼らの息子であり孫なのだと秀明は思うようにしていた。裏切られるのが怖かったからだ。いつか彼らが鳴海を選んだ時にショックを受けないように、無意識に心を防御していた。そんなことは必要ないにも関わらず、だ。
秀明が僧侶への道を歩み始めたことを最も喜んだのは住職だった。そして、意外にも、鳴海も心から喜んでいた。もともと鳴海には『相良』を継ぐ気はなく、父親の姓である『灰原』を名乗っていた。戸籍も住職夫妻のものには入っておらず、その当時、養子になって寺に残っていたのは秀明だけだった。
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