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酷く暑い。
そして、何より息苦しくて吐きそうだ。
電車が揺れるたびに、隣りの若い男の背中が徐々に俺を押しやり、右手を伸ばして辛うじて掴んでいる吊り革がギリギリと音を立てる。
横に立つ腐りかけのジジイは、こんな混雑にも拘らず、片手で雑に折り畳んだ新聞を読んでやがる。
ガサガサガサ
耳障りな音を立てながら、奴は頻繁に新聞を開き、折り直す。
その度に、俺の顔に新聞の端っこが当たる。
睨みつけてやろうにも、新聞に遮られて奴の顔は見えない。
俺の前にいる小柄で小太りの若い女。
こいつは限られたわずかなスペースを使って両手でスマホを持ち、虚ろな目で画面を見ながら、小声で何やらぶつぶつと呟いている。
シネ、シネ、シネ。
おそらくゲームか何かか。
無意識に、そして何ら感情無く発せられるそのフレーズは、まるで俺に向って放たれているようだ。
真夏の朝。
限界まで人を詰め込んだ通勤電車。
暑い。
暑すぎる。
天井を見やると、古ぼけた小さな扇風機がゆっくりと向きを変えながら、カラカラと回っていた。
今時、空調が扇風機なんて、ありえない。
だが、このケチくさい鉄道会社は、旧車両をいつまでも使ってやがるのだ。
暑い、暑い。
そして何より息苦しい。
せめて。
せめて、このネクタイを緩めたい。
そんな余裕すらなく。
電車が揺れて、後方から重い圧力を受ける。
ギリギリギリ。
なんとか吊り革にしがみ付きながら、ブレーキに耐える。
駅に停車。
ドアが開くとともに、ふたたび大量の腐った肉塊どもが容赦なく雪崩れ込んで来る。
強い悪意を持った力が、俺を押し潰していく。
握っていた吊り革は、あっと言う間に引き離された。
上げていた手をなんとか降ろした俺は、隙間無く詰め込まれた肉塊の一部と化した。
電車が動き出す。
ジジイは、こんな状態でも辛うじて残された隙間を利用して、まだ新聞を持ってやがる。
そう、俺の顔にべったりと貼り付いた新聞。
額を流れる汗が新聞に吸着し、インクの匂いを際立たせる。
女は更に俺に密着し、臭い息とともに、耳元でうわ言のように囁き続ける。
シネ、シネ、シネ。
天井の扇風機が、まるで届いてこない微かな風を、左右にぼんやりと振りまいている。
さあ。
さあ、やっと俺の時間だ。
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