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「香奈」
「ん……」
吐息の混じったような二人の声を後にして、僕らはそっと彼の家を出た。
「うわー、あやうくお邪魔虫になるとこだったね! 」
未帆が笑いながら僕の腕にすがってきた。
「そういえば玄関の鍵閉めた? 」
「内鍵だけ。あれが閉まってれば問題ないだろ」
あとは二人だけの時間だから ―――
「一日早いけど、檜山さんにとっては最高のバレンタインデイになったね」
未帆が自分のことのように、嬉しそうに話す。
「そうだな」
「ねぇ」
最寄の駅に向かう途中に、未帆が興味津々な表情で聞いてきた。
「香奈さんがクレームつけた編集後記って、何書いたの? 」
「見てなかったのか」
「んー、だって式の準備で忙しくて」
ああ、そうか。
「週末には僕も手伝うから」
未帆が僕の顔をじーっと見た。
「なんか卓、変わったね」
なんだよ。
「ほら、これ」
何故だか少し照れくさくなって、ぶっきらぼうに記事をそのまま未帆に手渡した。
<編集後記>
相手政府から何度も表彰されるほど現地で信頼されている檜山達さんは、見た目も男前の記者からみても憧れの人物でした。でも彼はひとつ僕にアドバイスをくれました。仕事ではこれだけ多くの人を助けることができたのに、身近にいたたったひとりの、かけがえのない人の心を大切にできなかった。それは見習うなよ、と。彼はその戒めに、今でもパンジーを大切に育てているんだそうです (京崎卓)。
「かけがえのない人、か」
未帆がどこを見るともなくつぶやいた。
「ああ」
「ねえ」
ぎゅっと僕の腕に絡めた力を強めて、未帆がこちらを覗き込んだ。
「なに? 」
「パンジー、新居にも植えようか」
「……そうだな」
<完>
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