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「無粋な話ですけど」
くぃ、とグラスをあおって檜山さんが続けた。
「彼女を失って、一番キツかったのは、夜でした」
「部屋にいる時? 」
「そう。昼間は仕事で意識を他の事に持っていける。夜は、ね。今まで部屋のそこかしこにいた存在が、もういない。特にベッドに入った時。あれはキツかった」
「ベッドに入った時? 」
「そう。ベッドの上で手足をぐーっといくらでも伸ばせる。ああ一人なんだな、ほんとに一人なんだ、って思い知るんですよ。そう思うともう眠れなくて」
ふ、と彼はため息をこぼした。
「抱きたいとかそういうんじゃなくて、いやそういうのももちろんありましたけど、なんというか人肌が、彼女の体温がものすごく恋しくなって。それはもう、気がおかしくなりそうなぐらいに飢えていました」
でも、翌日はまた仕事に行かなければならない。
「香奈を失ったのは自分がこんなに留守にばかりして、彼女をその間一人にしてしまっていたせいだと思いました」
檜山さんの声が微かに震えているように聞こえたのは気のせいだろうか。
「あのころは本気で仕事を辞めて彼女を探しだそうかと、何度もそう思いました。手がかりがなくても、彼女の故郷に行って毎日探し回れば何かわかるかもしれない。だけど、」
傍らにあるiPadをとんとん、と彼は軽く叩いた。
「職場に行けば、海の向こうでは今日もこんな風に、困難に立ち向かっている子供たちやその家族がいることを嫌でも思い出す。彼らを中途半端な形では放り出せない。そう思い直す毎日でした」
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