残されたもの

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それからしばらく彼は言葉を発することがなく、僕との間の空間は沈黙で満たされていった。 店の奥からBGMのようにとぎれることなく聞こえてきた話し声も、何度目かの「ありがとうございました」 という声と共にかなり音量が減ったようだ。 もうお疲れなんだろうか、切り上げるべきかと思い声をかけようとした時。 「日本に戻ってまもなく母親がなくなりましてね。姉貴から、俺がいつ彼女を連れてくるのか楽しみにしていたと聞いて辛かった」 酔いが醒めてきたのか、檜山さんの口調はまた丁寧なものに戻ってきていた。 「ある日思いたって、富山行きの列車に乗ったんです。戻って2年くらいしたころかな。香奈はあまり故郷の話はしなかったんですが、氷見線の話だけは時々してね」 「氷見線? 」 「ええ。あなたはこちらの方だからよくご存知でしょう」 「いや僕も大学出てからわりと最近に仕事でこっちに来たもので……。乗った事は数回あるくらいですかね」 「そうですか。あの電車、高岡から出てしばらくは住宅街を通り、それから製紙工場の脇を走るんですがね」 「ええ」 「それが途中から急に日本海のすぐ脇に出て、海沿いを走るんですよね。もう、波頭がすぐ目の下に見えるくらい近くを。それがとても印象的で」
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