残されたもの

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息が止まりそうになった。 まるでデジャブだ。 『パンジーよ。冬の寒さに耐えられる、数少ない花なのよ』 『大雪の下に閉じ込められても生き延びる、強い花なのよ』 『パンジーの花言葉、知ってる? 』 もう10年も前のことなのに、何故か今そこに香奈がいるかのように鮮明に彼女の声が脳内に蘇った。 「あの、すみません」  俺が俯いてしまったからか、その場を立ち去ろうとしていた女性に声をかける。 「はい? 」 いぶかしげに女性が応じた。 「パンジーの花言葉が何かご存知ですか」 「花言葉?  どうしてですか?  彼女さんにでも花を贈るとか? 」 「いや、そんなんじゃなくて」 あら、と女性は髪に手をやって言った。 「ごめんなさい。余計なことでしたね。パンジーの花言葉はいろいろあるようですけど、私が好きなのは 『私のことを思ってください』 ですね」 思わず彼女の口元を見つめてしまった。 「何ですって? 」 「私のことを思ってください、です。だから大切な人が遠くへ行ってしまう時にパンジーを渡すのだと、外国では言われているそうです」 「そ、そうですか」 「どうかしました? 」 「あ、いや、何でもありません。ありがとうございます」 礼もそこそこに、彼女に背を向けて俺は再び海の方へと歩き出した。 初冬の誰もいない海岸の方へ。 ――― 私のことを思ってください 香奈。 君はこのパンジーのように、辛い冬をずっと耐えて春が来るのを待っていたのか? どうして俺は気づいてやれなかった? どうして……! 耐え切れずにしゃがみこむと、砂に黒っぽいシミがいくつもできた。 「くっ…………」 冬の荒波が立てる音が、俺の嗚咽をかき消した。
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