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第5章~月山富田城合戦~
~飯梨川の死闘~
朝もやが漂う。
東の空に陽が登りはじめ、夜の闇からの支配から解放される様に、辺りが明るくなり、朝もやをかき消し始める。
飯梨川の東西から馬の嘶き、甲冑が擦れ合う音が聞こえ、飯梨川を挟み睨み合う尼子軍と島津軍の将兵たちから、緊張感が漂っていた。
月山富田城は標高192メートルの小高い山に築かれた山城、外郭を成す飯梨川の広瀬に島津軍の先陣が星上山の陣から進出、月山富田城の攻め口である御子守口、菅谷口、塩谷口の3つを攻めるため、島津軍は先陣を3部隊に分けていた。
御子守口を岡利勝5000、甲斐親英2000、佐波隆秀1000、森脇市郎左衛門1000を合わせた9000、菅谷口を立花宗茂5000、佐伯惟定3000を合わせた8000、塩谷口を片桐且元4000、吉岡統増3000を合わせた7000、総勢で2万4000の先陣である。
その一方で島津軍は、島津家久の戦略により闇夜の中、島津家久と大谷吉継が率いる7000の将兵で編成された別動隊が、星上山の陣を出陣して何処かに姿を消していた。
一方の尼子軍は月山富田城の防御線の御子守口に前田利家3000、延沢満延2000、伊藤善左衛門2000を合わせた7000、菅谷口に竹中治右衛門2000、真田信繁2000、池田輝政1000を合わせた5000、塩谷口に長曽我部信親2000、横山喜内2000、前田利成1000を合わせた5000、これら1万7000にて月山富田城の外郭を成す、飯梨川の防御線の布陣をしき、御子守口には谷口真哉の姿もあり、山中御殿平には花房正幸4000、酒井忠次3000を合わせた7000が入り、ここには野村麻紀の姿もあった。
陽が東の空から登り、朝陽の温もりにより、気温が上がると共に朝もやが晴れ始めると、両軍の先陣の布陣がはっきりと見え始め、更に両軍の将兵たちには緊張感が高まる。
本来であれば、尼子軍は月山富田城に籠城して、守勢に撤するのであるが、尼子剛志率いる援軍を得た上に、鳳凰神・宇喜多直家の言葉にあった様に、妖魔鬼神の焦りを知り剛志の決断で、月山富田城より出陣して、攻勢に出る構えであった。
そのため尼子軍の将兵たちは、緊張感もあるが、攻勢に出るため息が荒く、陣大将である前田利家の突撃の合図を待っていた。
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