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小さな人影が、視界の端に乱入した。
「ぬぉっ!??」
一驚。肝が急速に冷える感覚から反射的にブレーキを踏み潰す。
急停止の反動で身体が前方へ引っ張られるが、発進直後だったのが功を奏し、人影との衝突は寸でのところで免れる。
「こんのバカタレェッ! 死にてぇだべかッ!?」
青筋をくっきりと浮かばせた怒り一色の絶叫が、開いた運転席の窓から放たれる。
その矛先を見やれば、とっくに歩道を渡りきった詰襟の制服に身を包む少年だ。
遅刻間際なのであろうか、必死に汗を散らせながら走る少年の丸い背が運転手の怒声に反応して振り返る。
幸の薄そうな顔には引き攣った三白眼貼り付いていて、その可愛げのない目と運転手の三角に尖った視線とが見事にぶつかった瞬間――
「ごめんなさいっ!!」
切羽の詰まった慌てた謝罪を置き土産に、少年は止まることなく走り去る。
人混みのなかに紛れていく傍迷惑な背中を眺めて、運転手は怒りに震わせていた肩から一気に熱気のようなものが抜けて、シートにもたれかけた。
あとほんの少しのところで人身事故。理由は何であれ生身の歩行者および走行者を轢いた日には全面的に運転手が罪に問われるのだから本当に世の中、割に合わない。
「ったく、お天道様とは反対に地上は大荒れだべや……」
しかし不幸中の幸いに終わって何より。さっさとこの場から離れようではないか。
そう仕切り直して再びハンドルを握った――ときであった。
「――ぅッ!??」
無防備な真横から受けた、ただならぬ衝撃。
骨の髄にまで重く沁み渡った衝撃力に肺から空気が溢れだした。次いで、尋常でない膂力に横から上方へと車体が持ち上げられ、束の間の浮遊感に晒される。
フロントガラスに雲無き蒼穹が映る。反転し、回転する世界で脳がうなされる。
やがてシートベルトから切り離される形で束縛から逃れた運転手は、運転席の窓から身を投げ出され、その衝撃との邂逅を目の当たりにする。
輝くばかりの白銀の毛並み。獰猛にして美麗なる一線の滑走。我が視線と交錯する灼熱に燃える瞳は狂気的で、それでいて目頭が熱くなるような芸術的な美しさに溢れ、鋼鉄の車体を紙細工のように貫く螺旋状の角は強靭で触れ難く、神威のごとき威厳を披露していた。
そして市街に、気高き一角獣の傲慢なる嘶きが轟いた。
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