歌が聞こえる

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忙しさにかまけて、電話はそのまま忘れていた。 仕事でトラブルがあった。コンピューターシステムの問題で、単純なものではなかった。固く絡まったタコ糸を解くような終わりの見えない作業だった。定時どころか、日付が変わるギリギリの帰宅が続いた。 ようやく目途がついた日、久しぶりにコンビニ弁当以外の夕食をとろうと思った。何を食べようかと少し迷う。詩織と食べようと思い付く。何を食べるかは彼女に決めてもらえばいい。 待ち合わせを決めてオフィスを出る。 ビルの玄関ロビーを出る時、ふと、とても近くから歌が聞こえた気がした。 とても細く小さな、鼻歌のような歌声。 すぐに聞こえなくなる。周囲を見回す。観葉植物のプランター。常駐する人のいない受付カウンター。自動ドアではないガラス扉。人工大理石の床。歌を歌いそうな人も物もない。 ひと昔前に流行ったポップソングのメロディのようにも思えた。もしかすると反響する自分の靴音の中から無意識にメロディを聴き取っただけなのかもしれない。
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