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手作り弁当――それは、子供達の健康面を第一に考えられた献立のもと、両親が毎日働いて得たお金で、極力無添加物の食材を買い、母親が毎朝眠い目を擦って欠伸をかみ殺しながら作ってくれるものだ。
そして、それは母親の愛情を具現化したものである。
朝一で炊かれた艶やかな白米の横には、仕切り板を隔てておかずがこれでもかと敷き詰められている。
特に私の母親の弁当に対するこだわりは強く、ずばり、「健康、味、見た目」の三点が重要項目である。
「肉ばかり食べてはだめ、魚も適宜食べなさい。」
「コンビニ食や外食ばかりが続くと濃い味に慣れちゃうけど、素材本来の味も味わいなさい。」
「どうしてもお弁当の具って彩りに欠けるのよね。だから今日はほうれん草のごま和えを入れてみたわ。しっかり食べてね。」
正直言って、私の弁当は学校でも群を抜いて美味しい。
友達が冷凍食品のコロッケやハンバーグを食べている横で、私は優雅にサワラの西京漬けや少し甘めの卵焼きに舌鼓を打っている。
今考えてみると相当嫌なやつだが、当時はこれが当たり前だと思っていた。
「お弁当美味しそう~」と言われるのは日常茶飯事で、お情けでひと欠片あげたが最後、お代わりの手は休む事を知らない。
それ以来少々周りからのびる手に警戒しながら昼ご飯を迎える事となった。
ちなみに、母親は頑に冷凍食品を使おうとしない。
「お母さん、冷凍食品を扱うの苦手だから。」
これが母の口癖だ。
しかし、そんな言い訳があるはずがない。
冷凍食品というものは「はやい、安い、美味い」がモットーの商品で、基本的に解凍して入れるだけのものがほとんどである。
しかし、意地でも手作りに凝るのは「娘にはとにかくより健康でより美味しいものを」という想いと、「そんな楽したものなんて使いたくない」という変な意地が垣間見えていて、子供からしたらなんだか複雑な気分ではあったが、それでいてこんなにも自分の事を思ってくれる母親のことが誇らしくもあった。
とにかく私は、よっぽどの事が無い限りいつも昼ご飯は母親の弁当を食べていた。
毎日、毎日、毎日。
飽きない、と言えば嘘になる。
たまにはファストフードや、コンビニのパンやカップラーメンなんかも食べたかった。
ただ、弁当もやはり美味しかったので、私は食べ続けた。
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