第1章

13/31
前へ
/31ページ
次へ
 そればかりか、航空母艦としての形は出来上がったが、膨大な維持経費調達の問題、従事する人員の調達の問題、乗組員の教育の問題等々、今後の運用計画や解明されていない不安材料がないわけではなかったし、これらの問題を解決しても、果たして航空母艦が戦力としてどれ程の威力を発揮してくれるものか、また、これの艦隊編成や護衛の方法など未知の部分だらけだったのである。   のちに太平洋戦争に突入してから半年後に、日米の空母機動部隊同士が史上初めて激突した珊瑚海海戦の際には、互いに空母などの戦闘艦艇を撃沈させるという大戦果を挙げているが、激しい戦いの中で不慣れからくる齟齬が生じて、日本海軍の索敵機が敵の給油艦をてっきり空母と見誤って報告し、勇んで出動した艦載機がこれを全力攻撃した、というような混乱を来たしたりしているように、未知なる兵器(もの)を実戦で使おうとすれば、必ず様々な問題が発生するものだから、航空母艦の運用はそう簡単なものではなかったのだ。  この、発着艦という難事を早急にやりこなさなければならないことになり、この責任を負わされることになった、「鳳翔」の初代艦長に内定もしていた、艤装委員長の菱田大佐と彼の副官たちにも当然相当の当惑や苦悩があったようだ。彼らは、実際に「鳳翔」が就役した暁には、艦長や副官を務めなければならない上に、飛行隊の運用の方は搭乗員たちを束ねる航空長に任せるとしても、艦内の整備員の作業手順を決めるなどの手立てを行わなければならないから、責任重大であったのだ。  しかも、海軍省の艦政本部からは、発着艦の準備を急げだの、航空本部からは、航空機が降りられるように、受け入れ態勢を早く整備しろだのとせかせられてはいた。が、またその一方で、海軍軍令部からは事を急がず無理のないようにやれとも言われていたから、これらの対応に大いに難儀したようだ。  また、「鳳翔」の艤装に携わる技術陣としても、前例すらがないことだったから、発艦はともかくとして、まだとても航空機を安全に甲板上に降ろせられる目途が立っておらず、当然の事、その準備態勢などはまだ整っていなかったから、試行錯誤する中で独自の工夫を凝らしていくしか方法がなかったというのである。                                四     
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加