第1章

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 そうこうしているところへ、海軍省の艦政本部から霞ヶ浦海軍航空隊へ直々の本人手渡し便で急な知らせが入ったのは、「鳳翔」が竣工した翌年の大正十二年の一月五日のことだった。  その知らせとは、三日後に、「鳳翔」の公試運転(海上公式試運転)を行うので、吉成大尉においては同艦の上級乗組員としてこれに立ち会われたしというものであった。  それで、既に同艦の航空長心得という辞令を受け、かつ航空隊の分隊長を兼務しながら、今か今かと着任に備えていた吉成大尉は、副官を連れて、これから出航するという「鳳翔」を見に行くことにした。  吉成としては、「鳳翔」の航空長として、そこがこれからのち自分の働き場所となり、持ち場責任者となるのであるから、この艦(ふね)を前もって是非とも見ておきたいものであったし、この時点で問題がなければ、浅見造船所側から海軍省へと正式に船体の引き渡しが行われる訳なので、今回のことはいわば納入判定の立ち会いという意味合いも兼ねていたのである。  吉成らの乗った軍の車が、昼前に横須賀の海軍工廠の近くの岸壁に係留されている「鳳翔」の所に横付けされるや、そこの係官との挨拶もそこそこに、早速、「鳳翔」を真下から仰ぎ見て、吉成はまず思った。  成る程、これが、まだ世界のどこにもないという、日本海軍初となる航空母艦という軍艦(もの)なのか。それにしてもえらくずんぐりとしていて、これまで見たことも聞いたこともない随分と変わった形の艦(ふね)だな、と。と同時に、英国の先進技術を参考にしながら、日本の海軍が持てる技術の粋を集めて、世界に先駆けて独力で開発した軍艦にしては、噂通り、いささか勇壮さに欠けた、見た目には少々不格好なものだな、と正直、吉成はそんな印象を持った。  更に、じっくりと艦の全体を見渡してみると、ばかに広くてでかい飛行甲板が艦(ふね)全体を覆うようにして、まるではみ出るようにして載っている様が見て取れた。それで、下から見る限りでは、改めて受けた艦(ふね)全体の印象として、新型の軍艦と云うよりは、巨大で真っ平らな飛行甲板をデンと船体の上に載せた、まるで航空機を専門に運搬するための輸送船か艀のようにしか、正直なところ見えなかった。  次に、この艦(ふね)が自慢としているという飛行甲板の上に立ってみて、吉成大尉はその駄々っ広さと、本来そこにあるべき筈のものが何もないのに驚ろかされた。
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