第1章

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 また海軍航空隊たるもの、軍艦の使い走りとして、いつまでもそこに間借しているような身に甘んじている訳にはいかなかったのだ。が、一方の、航空機を目や手足代わりのように使っていた軍艦側としては、便利この上ない航空機に独り立ちされては甚だ困る事情があったから、却って今のままの方が都合が良かったのかも知れなかったのである。が、しかし、海軍の、??海の荒鷲?≠フ働き場であり活躍の舞台は、当然の事、洋上でしかない。だがその、??海の荒鷲?≠燉m上で翼を休める母なる艦(ふね)がないことには思う存分暴れまわることも叶わないのだ。それで、尚更、洋上移動航空基地となる母艦が是非とも欲しいとの切なる要望が寄せられていたのだ。  それに応えるかのように、前年の大正九年六月二十二日には、水上機母艦の「若宮」で、陸上機を使って、甲板から直接発艦させる実験を行い、これを海軍大尉が巧みに操縦して自力で飛び立たせることに成功させたり、戦艦「山城」の砲塔の上に設けた滑走台から陸上機を発進させるのに成功したとの情報が彼らの耳にも入っていた。それで、益々「ほう、それなら尚更我々としてもうかうかしておれん。こっちも負けておられんぞ」となっていたというのである。   しかし、その一方で、前述のように、時代に逆行するようにして、対外的な威圧効果絶大であったという、??高速な移動が可能で巨大な砲台を有した?$?艦に対する絶対的信奉論もまだ根強くあったのも事実であった。  大鑑巨砲主義に凝り固まっているといわれていた東郷元帥らの影響力もあって、空母と いう新規開発兵器への戦力としての不安が拭え切れなかったようなのだ。  その点に関しては、既に述べたように、米海軍は、改造した巡洋艦への発着艦実験を試みてこれを成功させているばかりか、のちの大戦には圧倒的多数の空母を投入するなど、その建造に並々ならぬ力を注いでいるが、そんな米国でさえも例外ではなかったようで、米国を含めた列強各国は決して戦艦の建造を止めようとはしなかったという。  ――かくの如しで、この悩みはどの国においても同様だったようなのである。
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