第1章

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 る読みには鋭いものをもっていたし、時たま出す指示も明確にして的確であったから、部下からの信頼も厚かった。吉成大尉は、妻を娶とる際に仲人を頼んだこの隊長と話すことを特に好んだから、何でも事あるごとに相談していたし、当の権藤大佐の方も嫌がらずに何事にも親身になって相談に乗ってくれていた。という、二人はそんな間柄であった。  二人は親子ほど年が離れている割に、九州人同士の誼もあって妙に気が合うところがあったのだ。 「この辞令のことでありますが…」  そう云う吉成大尉の手元には、 ─辞令 任海軍大尉吉成惇一 大正十一年十二月十日付 補鳳翔の航空長心得を命ずる。  という辞令書があった。  この、辞令書の表記の仕方と云うのは海軍独特のもので、任とは、辞令を受ける者の階級と名を示し、補とは、古語に由来したもので、任務に就く天子の職能を補う才を意味するものであったという。が、吉成大尉にとって理解し難かったのは、そんな表記のことよりもこの辞令そのものなのであった。 「なんか、吉成大尉。こん辞令に不満でもあっとなぁ」  そもそも海軍は、陸軍が長州閥の巣窟とするならば、こちらは薩摩閥の砦だと自負するぐらいだから、他の部署の例にもれず、この海軍航空隊も鹿児島県人が多く占めていて、隊長の権藤又一郎大佐もまた、ご多分に漏れず鹿児島の出身であった。彼らが話す言葉は鹿児島弁丸出しで訛りがひどく、慣れないと聞き取りにくいほどのものであった。だがしかし、それを直してやろうとする者や理解しにくいなどと言って文句を言ったり、これを咎めようとする者は誰一人としていなかったのである。   そんなことで、隊長の権藤は、辞令書を手に取って、それに目を通しながら、笑みを湛えたしたり顔の、鹿児島弁丸出しでそう聞いたのである。その様子は、いかにも部下の出世が嬉しくて仕方がないといったものであった。だから、まるで深刻さなど微塵もない。「いえ、そうではありません、隊長殿。昨日(さくじつ)、自分が辞令を受けた、この役職名のことでありますが…。『鳳翔』の航空長心得とは、一体何でありますか。一体、自分はどこへ行って、何をすればよいというのでありますか。自分には、分からないことばかりであります」  納得のゆかない風で、吉成大尉は憮然としてそう言う。  これには、流石に権藤も答えに窮して、
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