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困ったように言う綺羅に、界は小さく笑う。
「片腕だったからね、怒られたらちょっと割に合わないなあ」
「そうです、傷は、傷は大丈夫ですか?」
綺羅がようやく自分の本来の役割を思い出し、界は素直に肩口の傷を見せた。界は、それを医術者の目で確認し始めた綺羅の横顔を眩しそうに見つめた。
「……界、あまりこちらを見つめていないでください」
さすがに恥ずかしいのか、綺羅がぎこちなく笑った。
「綺羅、そのままでいいから聞いて。僕は、剣濫とともに故郷へ旅に出ようと思う」
一瞬だけ、綺羅の手当ての手が止まった。
「僕を狙っている海竜がいるのは知っているよね? そいつ、昨晩も現れたんだ。僕がここにとどまっていたら、綺羅を傷つけてしまうかもしれない。その気持ちは分かるよね?」
界は綺羅の返事を待たずに言葉を続けた。
「それに、僕は本当は、自由の身じゃないんだ」
界は自分が幼なじみである惣領息子の従者であり、影であることを話して聞かせた。
きちんと筋を通してから綺羅のいるこの群晶島に戻りたい。そう告げた。
でも、綺羅に待っててほしいとは、界は最後まで口にしなかった。それが界なりの優しさでもあった。
手当てを終えていた綺羅は黙って手の中の“海のバラ”をじっと見つめていた。そして苦しげに小さな声でとつとつと呟いた。
「……戻って、きて、ください」
「綺羅」
「お願いです、必ず、この群晶島に」
「……うん」
約束する、と界は言えなかった。旅をしたことのない界にはどうなるのか全く分からなかった。なのに軽はずみなことを口になどできなかった。
俯いている綺羅の顔を、界はそっと右手であげた。
綺羅は嘘でもいいから、言葉を待っているだろう。でもそれはどうしても言えなかったのだ、界には。
顔をあげさせられた綺羅は、大粒の涙を澄んだ瞳いっぱいに浮かべていた。たまらず界は、言ってしまいたい衝動にかられる。それを抑えこんで、界はそっと綺羅に顔を寄せた。綺羅の瞳が一瞬大きく見張られ、静かに閉じられた。
拙く合わせた二人の唇は、ひんやりしていた。
綺羅の閉じた目から、一筋の涙が頬を伝って、砂浜に小さなしみをつくっていた。
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