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第一章
界はふと泳ぎをやめて、空をみあげた。
満月が浮かび、旧時代の傾いたビル群を照らしていた。廃墟となり、海の水につかった建物群は、界が住む村の古老によると、かつてトウキョウと呼ばれていたものだったという。文明が栄えていたというが、界には、ただの水生植物の温床になっている廃墟にしか見えない。
水中に目を向ければ、その遥か下の海底には道路や背丈の低い建物がたくさん残っていた。さらに水生植物に交じって、空気でしか生きられなかった木々が化石化していた。その間を、ときおり魚や水中に適応を遂げた動物たちが泳ぎ渡っていく。
界は不思議そうに首を傾げると辺りを見回した。
「どうした?」
後ろをついてこない界に気づいて、嶺はその場で立ち泳ぎしながら振り返った。
「うん、なんか妙な感じがして……」
「なんだよ。親父にバレたら怒られんだぞ」
「分かってるよ。ごめん」
界は素直に謝ると、待っている嶺の方に向かった。
嶺は界の村の惣領の息子だ。こうして夜中に島の外に出ていると知られたら、周りに示しがつかないとひどく怒られる。でもそれをおしてまで、島外の海、しかもかなり離れた遠洋には村の少年たちには抗えない魅力があった。
界はもう一度辺りを見回し、そしてふと泳ぎをとめて足元の深い海の底を見つめた。
「なんだよ、界、いい加減に」
嶺の神経質そうな声を、界は「ちょっと待って」と遮った。
「何かあんのか?」
さすがに不安そうにした嶺が界のそばに寄ってきた。
「なんか変なんだ」
「何をさっきから気にしてるんだよ」
「静かすぎるんだ。魚も動物もいつもより少ない気がするんだよ」
界の言葉に、嶺は深い水底をじっと見つめた。そして首を傾げながら「そうかな」と自信がなさそうに漏らした。こういう時の界の直感は当たると、嶺は知っていた。村で一番、界の自然に対する五感は鋭い。
嶺はかすかに眉をひそめると、近くにある廃墟の高層ビルに界を誘った。とりあえず海にいるよりは、姿を隠しやすい。
すでに硝子が入っていない窓の、からみあった水生植物をかきわけて、二人は廃墟ビルの一フロアによじのぼった。傾いている床には、窓から入りこむ波が寄せては返していた。二人は濡れていないところまでいくと、並んで座った。
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