0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
1 正反対
彼とは同じ部署の仕事仲間だった。
彼の柔らかな物腰とおっとりとした雰囲気は、忙しさのあまりピリピリとした空気の癒しともなっていた。
奈津はそんな彼が気に入らなかった。
おっとりとし過ぎて、たまにポカをする。
もちろん、大きなミスはしていないようだが、たまにミスをするのだ。
きっちり症の奈津にはそれが耐えられなかった。
「お疲れ様です、これ、コーヒー」
ある昼下がりの午後、デスクワークに勤しんでいると、ふと声をかけられた。
顔を上げると彼がコーヒーを淹れてくれていた。
「…ありがとう。」
コーヒーの香ばしい香りに安らぐ。ちょうど肩が疲れてきた頃だった。気がきく男だ。
「奈津さん、いつもきっちりしていて本当に尊敬します。ミスを減らすコツとかあるんですか?」
彼はニコニコと尋ねてくる。決してイケメンではないのだが、やや垂れ目な目は穏やかで、透き通るような肌の白さや柔らかな栗色もふんわりとしたイメージを与える。確かに見ていると穏やかな気持ちになる。
「…別に、やるべき事をすればちゃんとすれば良いだけ。特別難しいことじゃないわよ」
ーーーここで、ありがとうの1つでも言えたら可愛げがあったのかしら。
会社でも陰で『鉄仮面・無愛想・クソ真面目』と言われている奈津だ。
自分でも少し気にしてはいるのだが、なかなか愛想良くできない。
今だってにこりともせず、可愛くないセリフしか言えなかった。むしろ、相手を不快にさせてしまったのでは。
心配になってチラリと彼の方を見たが、彼は気に留めていなかったようだ。
「すごいなあ。僕も奈津さんみたいになれるように頑張ります」
皮肉ではなく、ただ純粋に彼は言う。
本当に人のいい男だ。…でも、
「ねえ、何で下の名前で呼ぶの?」
奈津、は下の名前で苗字は日下部である。
彼氏や同期なら理解はできるのだが、彼はただの仕事仲間でしかも奈津より2つ年下だ。
しかも、彼が下の名前で呼ぶのは、少なくともこの部署の中では奈津に対してだけだった。
「うーん、なんでですかね」
「何それ、理由ないの?」
「日下部さんより、奈津さんって呼びたいんです。日下部さんより、奈津さんって響きの方がすっごく素敵じゃないですか?」
ニコニコと彼は言う。
理解できるような、出来ないような。
相変わらず掴み所のない男だ。
奈津はふーんとだけ返事して、デスクワークに戻った。
最初のコメントを投稿しよう!