1 正反対

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1 正反対

彼とは同じ部署の仕事仲間だった。 彼の柔らかな物腰とおっとりとした雰囲気は、忙しさのあまりピリピリとした空気の癒しともなっていた。 奈津はそんな彼が気に入らなかった。 おっとりとし過ぎて、たまにポカをする。 もちろん、大きなミスはしていないようだが、たまにミスをするのだ。 きっちり症の奈津にはそれが耐えられなかった。 「お疲れ様です、これ、コーヒー」 ある昼下がりの午後、デスクワークに勤しんでいると、ふと声をかけられた。 顔を上げると彼がコーヒーを淹れてくれていた。 「…ありがとう。」 コーヒーの香ばしい香りに安らぐ。ちょうど肩が疲れてきた頃だった。気がきく男だ。 「奈津さん、いつもきっちりしていて本当に尊敬します。ミスを減らすコツとかあるんですか?」 彼はニコニコと尋ねてくる。決してイケメンではないのだが、やや垂れ目な目は穏やかで、透き通るような肌の白さや柔らかな栗色もふんわりとしたイメージを与える。確かに見ていると穏やかな気持ちになる。 「…別に、やるべき事をすればちゃんとすれば良いだけ。特別難しいことじゃないわよ」 ーーーここで、ありがとうの1つでも言えたら可愛げがあったのかしら。 会社でも陰で『鉄仮面・無愛想・クソ真面目』と言われている奈津だ。 自分でも少し気にしてはいるのだが、なかなか愛想良くできない。 今だってにこりともせず、可愛くないセリフしか言えなかった。むしろ、相手を不快にさせてしまったのでは。 心配になってチラリと彼の方を見たが、彼は気に留めていなかったようだ。 「すごいなあ。僕も奈津さんみたいになれるように頑張ります」 皮肉ではなく、ただ純粋に彼は言う。 本当に人のいい男だ。…でも、 「ねえ、何で下の名前で呼ぶの?」 奈津、は下の名前で苗字は日下部である。 彼氏や同期なら理解はできるのだが、彼はただの仕事仲間でしかも奈津より2つ年下だ。 しかも、彼が下の名前で呼ぶのは、少なくともこの部署の中では奈津に対してだけだった。 「うーん、なんでですかね」 「何それ、理由ないの?」 「日下部さんより、奈津さんって呼びたいんです。日下部さんより、奈津さんって響きの方がすっごく素敵じゃないですか?」 ニコニコと彼は言う。 理解できるような、出来ないような。 相変わらず掴み所のない男だ。 奈津はふーんとだけ返事して、デスクワークに戻った。
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