序章

14/16
213人が本棚に入れています
本棚に追加
/116ページ
だが、数正が竹千代へ渡された盃をすっと横から掠め取り、瀬名へ差し出す。  「某は石川数正にござりまする。以後お見知りおきを」  「相わかった」 瀬名は満足げに数正へお屠蘇を注いだ。数正はそれをきっちり飲み干し、盃台に戻すとにこやかに笑んだ。  「先程の話しは興味深く。何故、本名をお教えくださらないので?」  「簡単じゃ。女子は色々と嫁がされる。誰ぞの娘とわかるだけで良いと思わぬか? 故に名はいらぬ。瀬名で構わぬぞえ」 にこにこと笑いながら、盃をまた竹千代に渡す。  「口をつけるだけでよいのじゃ」  「左様なれば頂きまする」 竹千代は姫様という気位に胸が高鳴り、愛らしい笑顔を振りまく瀬名に、頬を染めながら盃に口をつけた。  (斯様に可憐な女子は初めてじゃ。よいのう、高貴な姫様とは……。い、今川に尽くせば、この姫様が手に入るであろうか) 生薬と薄い甘さのお屠蘇の味は、この日を忘れられないものにした。 照れつつも瀬名を眺め続ける竹千代は、そのまま瀬名のままごとに付き合わされた。 けれど、夢見心地のようでまったく嫌な気はしなかった。むしろ、楽しくままごとをする竹千代に、数正が溜め息を洩らし肩をすくめたほどである。 長いこと遊びに耽っていた二人だったが、ふいに竹千代は頭を撫でられ、慄いて振り仰げば氏広が立っていた。  「竹千代。瀬名が世話をかけたな」  「い、いえ。楽しく過ごさせていただきました」 竹千代は氏広へ平伏して年始の挨拶を述べ、そそくさに帰ろうとした。
/116ページ

最初のコメントを投稿しよう!