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扇子を口許に黙りこむ義元の姿は、公家さながらの雅やかな印象を与える。だが、その澄ました端整な顔は冷淡にさえ見え、海道一の弓取りと呼ばれる男のものだった。
竹千代は内心、臆しながらも義元を見つめ続けた。義元は時折、咳払いをし目を細めては扇子を持て余して唇を噛んでいた。ややもすると悩ましげなその姿は、不思議な色気を醸す31歳の若き今川当主であった。
(義元様は何をお考えなのであろうか……。やはり、拙者の言葉が過ぎたのだ……。まずいのう、どうすればよい? ま、まだ無事でおりたいのだが……)
そわそわと焦りを隠せなくなった。竹千代は俯き、目を泳がせては唇を震わせ、徐々に額が板張りへと近づいていく。
「竹千代。堂々とした面構えはどこにいったのだ? しかと、わしの顔を見よ」
「は、はい……」
恐る恐る顔をあげてみれば、義元はやわらかな表情にどこか笑いを噛み殺しているようだった。
「言いきったからには、真っ直ぐな態度を崩すな。空気に呑まれるでない」
「は、はあ……」
「学びたければ、文武すべてを学べ。太原崇孚 (たいげん そうふ) に師事するがいい」
「!!……義元様っ」
「最高の贅沢に文句でもあると?」
「い、いえ。ありがたき仕合わせにござりまする」
竹千代が深々と頭をさげると、義元は愉快そうに笑って退出していった。
残された竹千代が呆然と冷や汗をかいていたのは言うまでもない。
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