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まさか、今川執政を担う使僧に師事するなど思いもよらないことだった。
(ますます義元様のお考えがわからぬ!!)
今ひとつすっきりとしない竹千代は、朝比奈に追い立てられるように退出し、控えていた竹千代の傅役である酒井忠次に返された。
「若、顔色がすぐれませぬが、如何致しましたので?……何ぞ、ご不快なことでもござりましたか」
「い、いや……義元様が太原崇孚様に師事せよと仰せになられた」
「な……今川執権の!?」
予期すらしていない人質の扱いに、忠次は邪推な詮索をしたくなった。けれど、それなりの屋敷を与えられていることに、松平家は困惑ながら従わざるを得ない。
「若……。今川家は少々変わり者なのかもしれませぬな」
「忠次殿、義元様はまったくもって東海の雄でござったが?」
「ああ……左様で。若の後見である今川家臣、関口氏広殿が申しておりましたが、今川義元はお屋形様と呼ばせず殿と呼ばせておるとか」
「お屋形様という呼び名は名誉であろうに」
竹千代は小首を傾げつつも、義元が公家かぶれの凡愚でないことだけは充分にわかった日であった。
一方、政務へ戻った義元は、書状の一通に手を伸ばしかけて動きを止め、障子へ目をやった。
うっすらと映る黒い人影が、わざと音をたてながら入ってくる。
「義元様、岡崎の餓鬼は如何にござりましたか」
にっと口角を引きあげた不遜な態度の男は、義元の忍び、藤林長門 (ふじばやし ながと) である。
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