第二章

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義元が、ぎっと睨んで振り返った時には、佐治は刀をしっかりと収めていた。  「心底、惚れ込む主があるというのは羨ましい」 そう洩らした佐治の顔は、やけに切なげで、義元は怒る気も失せてしまった。  「そちの今の主は、元康であろう」  「……惚れ込んではおらぬし、餓鬼のために死ぬ気はさらさらない」  「元康を見限るか」  「それは……ない」 一瞬の間をあけて佐治は否定した。 そうして、すぐに憂いを凪いで、いつもの阿呆面を晒す。  「桜は感傷に浸らせて困りますな」  「……」 もう義元は声をかけなかった。彼は大内義隆を愛してやまぬ忍びなのだろうから。  「義元様、何時も油断をされてはなりませぬぞ」 酷く静かな声音で告げて佐治は影へと消えていった。 脳内にこびりつきそうになる佐治の声を振り払い、文机に突っ伏した義元は意に反して目尻に涙が滲んだ。  (忍びは嫌いだ……。己を見透かす) だが、心底信頼を寄せる相手もまた忍びである。  「長門……──」 消え入りそうな声で呟くと、今度はその気配をしっかりと背後に感じる。 そこから伸びた指先が、義元のすべらかな髪をそっと梳いていく。 やがて首筋の傷へ薬が塗り込まれていった。  「佐治の奴……いつか殺す」  「そうしてくれ」 義元は小さく笑んで同意した。予期しない言葉に長門は目を丸くし、小首を傾げた。  「今すぐ、とは命じぬので?」  「あれは、元康の忍びであるからのう」 義元は振り返って長門にしがみついた。
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