第二章

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だが、ひたすら対局を要求し続ける佐治に、元康は飽きたと言わんばかりに顔をしかめた。  「天狗殿……。わしを引きとめて瀬名姫と直親殿を二人にさせる理由は何ぞ」  「あれ? 知っておられたので」  「ふん。だいたい、天狗殿は怪しい。微かに袖から義元様の匂いが薫っておる」  「わあ、怖い。犬並みの鼻でござるな」  「茶化すな」 元康は鼻息一つさせ、将棋の駒を片付けてしまった。そうして、じっくりと佐治を見据えると、佐治は薄い笑みを浮かべた。  「義元様のところへはただの野暮用。瀬名姫様と直親殿は従兄妹としての会話にござります」  「……佐治殿。適当なところで二人の邪魔をしておいてくれ」 すっと腰をあげた元康は踵を返し部屋を出ていった。佐治は視線を斜めに苦笑した。  (元康殿は本気で命じるときは、天狗とは言わぬのだな) 長年仕えた主にでさえ、佐治は渾名で呼ばれていた。命じられるときも。そんな彼は今更ながら佐治と呼ばれることに心地よさを感じ、また、元康が家臣を呼び捨てにしないことも納得できたのだった。 気がつけば、空はやわらかな薄紅梅に輝いて、すべてを淡く染め上げていた。 佐治は命じられたとおり、瀬名の部屋へと無遠慮に踏み入った。  「瀬名姫様、お話しはお済みでござりまするか?」  「為良殿……相変わらず綺麗なのね」  「…………何を仰有いますやら」 佐治は少しばかり瀬名が苦手だった。為良と呼ばれ、容貌を褒められることは、むず痒く余裕がなくなってしまうのだ。
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