第二章

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大声をあげてしまいたいところを必死に堪え、駆けおりるなか、何とか気を鎮めようと念仏を唱え続けた。 怒り狂っている様を彼女だけには見られたくない。情けない姿は晒しても、醜い怒りは絶対に見せてはならない。  (瀬名姫は、もう眠ってしもうたであろうか……) 元康は昼間の瀬名の姿を思い返し、少しばかり口許がにやけてきた。先程までの念仏は彼女への情熱にかわり、さらに元康の足を速めさせた。 息を切らせ、完全な暗がりに包まれた屋敷へ辿り着くと勝手口から入り、水を一杯飲んで上がり框 (かまち) に腰かけた。それから丁寧に足の泥を拭って、大袈裟に音をたてながら数正の部屋へと駆け込んだ。  「何事にござりますか……」  「天狗殿たちと仕組んでおったのか!?」  「何をでござります?……それより鷹の世話など斯様な時分でなくとも──」  「しておらぬわ!」 元康はこめかみを押さえつつ否定し、数正が本気で佐治たちの企てを知らなかったのだと理解した。そうして、腹立たしげに数正の煙草盆から火種を拝借して出ていった。 急ぎ廊下を進み、緊張から速まる脈拍に元康は、何度か深呼吸して、滑るように彼女の部屋へ踏み入った。直ぐ様、目に飛びくるのは、彼の影に驚き微かに震える白い肌小袖だった。元康はもどかしそうに燭台へ火を灯し、小さくなっている愛しげな顔を覗き込んだ。  「瀬名姫。……驚かせてすまぬ」  「……斯様な刻に戻られるとは思わなかったえ?」 瀬名の素な言葉遣いに、元康は一瞬鼻に皺を寄せた。
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