第二章

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猿こと猿丸は、三河国境付近まで後退したところで、日の暮れた夜空を見上げて、ゆっくりと拳を握った。そして、暢気な顔で後ろに立つ禿げ鼠こと藤吉郎を睨んだ。  「禿げ鼠。貴様のとんだ茶番のせいで、今川に辿り着くどころか振り出しに戻ったではないか」  「仕方ないでしょう。まさか、あの場に藤林長門がいるとは思わなかったのでござりますからぁ。って、未だに禿げ鼠呼ばわりで? 拙者の名は藤吉郎にござりますぞう」  「鼠で充分! 機を見て出直す」 吐き捨てるように言った猿丸は野宿の仕度に取りかかった。藤吉郎も猿丸の機嫌を窺うようにへらりと笑いつつ手伝った。 ──同じく、夜空の星々を眺めるまで長門に説教され続けた佐治は自室へ戻り、疲れたと愚痴をこぼしながら寝転がった。  「三坊殿。長門殿の了承を得ていなかったのでござりますね」  「得る必要がどこにあるのだ。長門ごとき……。まして、今川に仇などなしておらぬのに」  「よほど不審に見えたのでござりましょう。ところで、伺いたいのでござりますが、何ゆえ、拙者を蚊遣りとお呼びに?」 唐突に目を丸くして尋ねる清延に佐治は吹き出して笑った。  「藪中で蚊の的になっておったのが、お主だからという理由にすぎぬ」  「左様で……。然りとて渾名で呼びあわずとも、あの行商どもには通じなかったのでは?」  「時に渾名が役立つこともあるものよ」 ふふん、と笑う佐治は目をしばたたかせ、そのまま寝息をたてはじめてしまった。
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