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覚悟を決めて入室した元康は、忽ちに茫然とした。そこに座していたのは元康の母方の従兄、石川家成であった。
(ぬ……っ。康正殿ではなかったのか!)
またしても佐治に遊ばれたと苛立ちはじめたが、佐治は『石川殿』と口にしていただけだったと思いだし歯噛みした。
「家成殿。久しうござります」
「殿……某は臣にて、左様な言葉遣いは無用かと思いまするが」
「さ、左様に?……些か緊張致しまする」
苦笑いを浮かべる元康は、慣れぬ三河の屋敷に心細くさえあるのに、只の今、駿府から供してきた者が傍に控えておらず一人でいることに余計な萎縮を味わっていた。
そんな元康の耳に、廊下を走り来る音が幾つも響いてきた。
「何ぞ騒々しいのう……」
そこに家成の柔らかな笑い声がかけられる。
「殿、この足音は重次殿に忠世殿……それに正親殿にござります」
「……家成殿は足音だけで認識致すのか」
感心する元康は、不意にさらりと聞き流した名に、はっとして、慌てて立ち上がった。
「鬼かっ! 鬼が来るのか!! また、わしを説教致すのであろうっ」
「殿、落ち着きくだされ。左様なことはござりませぬゆえ」
「何を申すっ、鬼に主従の概念はないのだ」
家成の前で狼狽える元康は、すぐに勢いよく開け放たれた障子の音に飛び上がった。
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