序章

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義元は長門の腕を掴むと、さっさと立ち上がり部屋から追い出す。 そして六兵衛を見下ろし、冷淡さを押し隠した柔和な笑みを浮かべた。  「六兵衛、今川によう尽くすのだぞ」  「はい」 幼い六兵衛は従順に返事をし、長門の手をしっかりと握った。  「長門、そちは子供に好まれやすいようだの。その調子で竹千代の見張りも頼むぞ」  「あっ、それでござります! 岡崎の餓鬼の印象を聞いておりませぬ」  「素直であったな。織田に頗るようしてもらった、と大層な嘘を申しておったぞ」 愉快げに笑い声をあげて障子を閉められてしまった。つまりは、義元は竹千代を堅実に育てると決めたらしい。  (まあ、岡崎……三河は重要。上洛路にも必要であるしのう) 岡崎衆を従わせるには、竹千代を手懐けておくほうが無駄に兵を使わずにすむ。竹千代の父である松平広忠が今川に従い、織田に奪われた竹千代を殺しても構わないと宣ったおかげで、今川は何としてでも竹千代を奪還せねばならなかったのだが……。 故に織田が使えない人質を大事にするはずはない。寺に任せたままだったようだが、そこで竹千代は忍耐を多少なりと学んだものとみられる。  (太原の爺が面倒みるなら、某は他の岡崎の餓鬼を見張るか) 長門は冷徹な光を瞳に宿したまま、六兵衛の頭を撫で、柔らかな笑みを含んだ声音で告げた。  「六兵衛、主君は絶対に裏切ってはならぬ」  「はい……」  「主君は義元様、ただおひとり」 それ以外は長門の主君ではない。
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