第二章

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正信は一瞬こわばったが、すぐに胸奥で不満げに皮肉が洩れた。  (某のような身分低き者は、その日の暮らしが精一杯というに……松平のご当主は駿府で随分と良き暮らしをなさっておられるようだ) 誰もが幸せであるためにと、日々念仏を唱えている正信の目には、元康が贅沢そのものに見えた。 正信がそう思っていると、ふいに元康が一歩近づいてきた。  「居は気を移す (住まいや境遇により、人の質や思想は変わる) そうは思わなんだか?」 含み笑いを洩らしながら冷ややかな目を向けてくる。胸奥を見抜かれたようで、腹立たしく思った。  「君に大過あれば則ち諫め、これを反覆して聴かざれば則ち去る (主君が道理から外れていれば諫言するが、それを聞き入れてもらえない時は主君のもとを去る) などとはお考えになりませぬか?」 少々おどけた素振りで返すと、  「小癪な……。まあ、悪うない。そちは、しっかり鷹を育てておれ。駿府に戻る前に鷹狩りを致すからの」 元康は満足げに素直な笑みを浮かべた。正信ははっとして、咎めるように忠世を見やった。彼はひそやかに口角をあげている。正信は少しばかり鼻息を荒くした。思惑通り、訊かずにはいられないではないか。  「殿……。ひとつだけ、宜しうござりますか。岡崎を如何にお考えで」  「……面倒、田舎、古臭い、面白うない。瀬名姫には見せられぬ。言うなれば捨て城だの」 ぷいっとそっぽを向いて言いのけた。
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