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「藤堂くん、今ちょっと話せる?」
ある日、廊下で俺を呼び止めたのは総務課の藤田課長。
彼が俺の名前を知っていたことに軽く驚きながら、はいと頷いた。
「二人で話すのは初めてだよね。いきなり何かと思っただろう? 実は相談したいことがあるんだ。レナのことで」
――レナ。
目の前のガタイのいい男の口から、その名前が出るとは思わなかった。
いつも社内では彼も『羽鳥さん』と呼んでいる。
もちろん恋人なんだから、プライベートでは下の名前を呼んでいるのだろうと思ってはいた。
だが、想像するのと目の前で口にされるのとではこうも違うのか。
嫌悪感を通り越して、吐き気がする。
「レナがどうしました?」
本人には決して言えない心の中だけの呼び方をあえて使った。
藤田課長の眉がオヤッというように少し上がる。
「俺が札幌支社に転勤になるかもしれないってことは知ってるかな。まだ内々示の段階だけど」
「知っています」
さっき、それを知って驚いたばかり。
俺が人事課だから、いち早く知りえた情報だ。
「もしそうなったら、彼女を連れて行きたいと思っている。プロポーズして」
遠距離恋愛になったら破局も時間の問題だと思った俺の期待をあっさり打ち砕きやがって。
「だけど、焦って失敗したくない。彼女だって仕事を続けたいかもしれないし。そこで、相談なんだ。君は彼女と仲がいい。だろ?」
「ですね」
俺は誰よりレナと仲がいい。廊下で会えば肩に手を回して抱き寄せる。
一日に何度もLINEで話すし、彼女の家に泊まったことだってある。
ただ、飲んでしゃべってゲームして映画を見ただけでも、ソファーで寝たんでも泊まりは泊まりだ。
「どう思う? レナは仕事を辞めて俺についてきてくれるかな?」
「どうですかね。それとなく探りを入れてみますか?」
親切な振りをして尋ねたら、ありがとう、助かるよと肩を叩かれた。
ぶち壊してやろうという俺の気も知らないで。
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