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薄ぼんやりとした光の中に、トントントン……という小気味よい音が響く。白く華奢な指。甘い砂糖菓子で出来ているんじゃないかと思うような指が僕の脳裏にありありと浮かび上がる。そしてそんな指が彫刻の作品のように美しい造形を描いて曲げられ、包丁を手にしているところが。
重たい瞼を開けて台所へと視線を向けると、ちょうど刻んだ野菜を器に盛り付けようとしている彼女と目が合った。
「あ……起こしちゃった?」
何故だか彼女がちょっと申し訳無さそうな表情で僕に微笑むから、僕も「ううん、大丈夫」と少しズレているような気がしなくもない言葉を返す。
「おはよう」と言えば、彼女も「おはよう」と返してくれる。こうして毎日料理を作って、掃除や洗濯をして、そして夜は同じ布団に身を寄せ合って眠る。まるで、同棲する恋人たちのようだ。
向かい合って座っても体を寄せれば簡単に肩が付いてしまいそうな小さなテーブルに、たった今作っていた軽めの朝食を並べる彼女の姿をぼんやりと眺める。白く透き通るような肌、長い睫、薄桃色の唇、長く艶やかな黒髪。顔立ちは決して彫りが深いわけではないけれど、一種の芸術のように繊細なバランスで整っている。その美しい容姿に、今までもう何度も何度も想像の中で彼女を抱いてきた。だけどその度に激しい後悔と罪悪感、自己嫌悪に苛まれた。
彼女は僕が、僕なんかが汚していいような存在ではない。たとえるならば神様……と呼ぶには、あまりにか弱すぎるか。ならば、天使だ。雨の降る日、翼をもがれ地上に落ちてきた天使。
こんなことを万が一口に出したりしたら、きっと歯が浮くような台詞だと思われるだろう。だけど僕だって、彼女に出会うまではこんな気障ったらしいことを考えたことはなかった。
何にも、知らなかったんだ。こんな感情なんて。
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