第1章

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 僕は、待っている。貨物列車の音が窓の彼方で聞こえる時、僕の哀しみは終わる。罪業の積み木を一つ、また一つと重ねていくことの哀しみ。愛しい人を救えないことの哀しみ。あの人の哀しみ。背徳の哀しみ。やるせない想い。  叔父様が僕のベッドを離れるとき、僕の新たな苦しみが始まる。来週まで会えない。僕は、千切れるような悲しみに耐えるため毛布の端を噛む。クマのぬいぐるみを、ぎゅうぎゅうにしてやる。こいつは、生きてないから、いじめても痛くないんだ、パンチしてキックして、投げつけて、ボロボロにしても、痛くないんだ。自分に、そう言い聞かせる。だって、自分をパンチしたり、キックしたりすると叱られるから。転んで擦りむいただけで叱られるから。僕の身体は、綺麗でないとだめなんだ。傷一つないきれいな身体でないと。だって、僕は、それが「とりえ」だから。  僕は、いつも、きれいなお坊ちゃんですね、と言われる。水平さんみたいな服、ウィーン少年合唱団の生徒みたいな服や、ヴィクトリア朝時代の女の子か、バロック時代みたいなフリルいっぱいのブラウスを着せられて、なんならスカートだって履いて、お化粧だってして、コケティッシュですねって、言われる。避暑地のホテルの部屋で、ライム水をストローで吸いながら、叔父様の膝の上で、叔父様の手のひらが、僕の……。あ、しまった。このことは、内緒だった。みんなに言ったらだめだよって言われてたんだ。  だから僕は、大人になるのを待っている。そしたら僕はこの白い窓の鎧戸を押し開けて、外の世界に羽ばたくんだ。ギリシャのイカロスみたいに。僕は、きっと、溶けない羽を作るから、成功すると思う。蝋でない何かで羽を固めるんだ。  それまで、ぬいぐるみのクマが生きているといいんだけど。ううん彼は生きてないんだ。だから痛くない。もうボロボロだけど、生きてないから、痛くないんだ。それまで待っていてね。僕が大人になるまで。あと何年かな? 何歳で大人なんだろう? 十八かな二十歳かな? わからないけど。あと二、三年かな? すぐだといいな。だってクマ君が、ボロボロになっちゃうからね。ねえ、返事してよ。僕は唯一の友達であるクマちゃんに語りかける。 「ずっと待ってるから」 クマちゃんは、僕にそう言った。
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